無駄な体験を研究する vol.1

アート,デザイン

written by Fumiya Mizukawa.

無駄な体験を研究しています。

無駄という言葉は様々に解釈できますが、この研究においては「ある光景を見続ける行為」を指します。見続けるだけの生産性のない行為です。この行為は、頭の中を無にもしますし、雑念を生じさせもしますし、空想に導きもします。つまり、ここでいう無駄な体験の研究とは、その行為の結果発生する感覚について考える、あるいはその感覚を導く方法について考えるというものです。

どんな光景が「見続ける行為」につながるのか。また、見続けることによってある種の心地よさを感じる瞬間がありますが、それは何に起因するものなのか。無駄な体験に潜む価値について研究していきたいと思います。

まずは、無駄な行為を通して、その価値を探ってみました。

 

無駄の排除が進んだコロナ禍

2020年。コロナの国内流行を受けて、弊社は全面的な出社制限と在宅勤務がスタートしました。以来、2021年9月現在も在宅勤務を継続中です。

世の中の在宅勤務中の多くの方々が、通勤がなくなり、勤務中の世間話がなくなり、社内外の打ち合わせがオンライン完結となり、「あれらは無駄だったんじゃないか」と気付き始めたように、私たちももれなく、無駄を最大限省いた在宅勤務生活をありがたく続けています。

しかし、無駄を省き効率化され切った働き方と外出自粛が続く“新しい生活”は、次第に私たちへ閉塞感とアイディア・発想を枯らす危機感を与えることとなりました。

 

無駄って実は大事な行為なのでは?

無駄な体験の研究は、昨年の夏頃、オンライン上で実現できる体験について社内で考え始めたことがきっかけです。皆であれこれと話し合う中で、「外出が少なくなったので無駄な情報に触れていない」という話題にスポットが当たり、「無駄」についての掘り下げが始まりました。無駄で退屈だった通勤や何も考えず見ていた光景が、実はインスピレーションの源泉だった可能性があるのではないか。そのような話し合いの末、「無駄を集める」プロジェクトがスタートしました。名付けて、「DIVE ! MUDA」“無駄の海に飛び込むようなだいぶ無駄なプロジェクト”という意味が込められています。

ご覧いただいたように無駄な光景の数々が集まりました。各自が思う「無駄」を動画に収めただけで、この動画一つ一つに価値も機能もありません。しかしなぜか見続けてしまう興味深さが存在していました。それは、何かが起きることを無意識に期待しているからなのかもしれませんし、よく見かける光景を懐かしく思っただけなのかもしれません。

何にせよ、この活動を通して、無駄なことに何かしらの価値があることは、プロジェクトに参加した(おそらく)全員が感じ取ったと思います。

 

無駄に潜む価値を見つける研究

私たちは無駄に潜む価値を掘り下げるため、「見続けてしまう」要因を改めて分析し、「見続けることができるコンテンツ」を再現性をもってつくる試みを始めました。

まずは、集まった動画から見続けてしまう要素を抽出し、仮説を設定することからスタート。その後、それらの要素をもとに動画を再構築し、検証を実施することにしました。

要素抽出

仮説

再構築案

また、予期した要素以外の体験を極力排除するため、撮影は白を基調に行いました。

そうして撮影したのが、これらの動画です。

いかがでしょうか?

前述したとおり、動画一つ一つには価値も機能もありません。しかし、なぜか見てしまわないでしょうか。この見てしまう理由について考察しました。

以下、考察です。(裏付けデータがあるわけではなく、あくまで動画を視聴した感想や仮説ですので、こんな考え方もあるなという風に受け取っていただけると幸いです。)

・『ティッシュが舞う動画』や『シルクがなびく動画』は、焚き火やのようなゆらぎを見る気持ちと同じ作用があるのではないか。

・『回転する豆腐』については、豆腐は回らないという事実を経験を通して知っているからこそ、回転するという意外性によって見てしまうのではないか。

・反対に『ボールが落ちる動画』は、思った通りの動きをするから、深く考えたり意図を見出そうとしなくていいから、安心して見られるのではないか。

・ナンセンスな動画自体に心地よさがあるのではないか。

・脳が疲れ具合によって心地よさの程度が異なるのではないか。

様々な感想や考察をまとめると、見続ける要因は大きく以下の2つに分けることができました。

動きと結末が予想できる自然体な動き

経験や記憶に紐づかない予期しない動き

「ボールは転がる」という事実を誰もが経験上知っているからこそ、動画内で起こることを予見できます。見続けるのは、「ボールは転がって落ちるよね」という予想の答え合わせをする動機が働きそうです。また、たくさんのボールが転がり落ちる様子は、そのダイナミックさが退屈さを刺激する役割になっているとも考えられます。

さらに、『シルクがなびく動画』も動きを予想できますが、これを見続けてしまうのは、“1/fゆらぎ”の効果と言えそうです。1/fゆらぎとは、パワー(スペクトル密度)が周波数 f に反比例するゆらぎのことを指します(wikipediaより)。言い換えると、規則性と不規則性のはざまで調和した状態で、木漏れ日や炎のゆらぎなどがそれに当たります。この類のゆらぎは心地よさに通じるため、見続けてしまう理由として納得感があります。

反対に、「豆腐が回転する」という状況は誰も予想できません。そのため、なぜ豆腐が回転するのかを理解するために動画を見続けるのかもしれません。

そして、これらの動画に対する感想は、鑑賞者の鑑賞態度に依存する可能性も高いと考えられます。

例えば、同じものが美術館の作品として展示された場合と公共の場の休憩スペースに展示された場合。人は、一方では意図を見出そうとし、一方では無目的に見ることになります。その動画自体を見続けられるかどうかは、視聴環境や心情も大きく関係していると言えそうです。

 

まとめ

一見無駄に見えることでも、掘り下げてみると新たな価値や思わぬ視点と出合います。

今後も体験価値を追求するため、無駄と生産性のバランスととりつつ研究を続けていこうと思います。

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