ブランドや社会の「ありたい」未来を描くために(Vol.3)

ビジネス・ブランド,研究,社会

written by Takuma Ise.

あるプロジェクトで地方出張があり、その帰路でプロジェクトメンバーと共に3人で昼食をとろうとしていたところ、車での移動中にメンバーがスマホ検索とセンスで選んでくれた初見のお店に入ることに。

見た目は古民家カフェといった感じで、地元で採れる食材を活かしたを提供しているよう。
おすすめ料理であるジビエ料理のランチをいただきましたがとても美味しく、また場所としてもサービスや建物もステキで良い時間が過ごせました。
食べ終わる頃、メンバーがメニューと共に置いてあったラミネートされた新聞の切り抜き記事に気がついて教えてくれました。
それまで全く気がつきませんでしたが、そのカフェレストランは障がい者就労支援の施設でもあったのです。

「三方良し以上」を実現する場所

そういう場所だと気付いた後に食事を終え、お会計に向かうとまた別のスタッフの方が丁寧に対応してくれました。
また、よく見てみると現場マネージャーのような方がスタッフの様子を見守りつつ、スタッフはそれぞれに一生懸命サービス提供をしてくれていて、名札を見て理解したのですがおそらく私たちのオーダーをとってくれた男性の方も、お会計を対応してくれた女性の方も障がい者雇用の人材だったのだと理解しました。

あとからWEBサイトなどを拝見したのですが、そこは国の重要有形文化財にも指定されている元酒蔵で、その場所を活用して、障がい者就労支援事業と飲食業を両立させながら、売店では地元の商品を販売しているそう。俗に言う、買い手、売り手、社会の三方良しであり、売り手や社会をさらに分類するとそれ以上の価値があるのではないかと体感しました。

UX「3:1の法則」

ここで一度UXデザインの手法の話になりますが、Google社も採用していると言われる「3対1の法則」をご存じでしょうか。

「3対1の法則」は心理学者のバーバラ・L・フレドリクソン氏が提唱する法則で、例えばユーザーがある体験をした際に、その体験をポジティブに捉えてもらうには、ほぼ同時に起こるネガティブな体験(質量1)を上回るポジティブな体験(質量3)が必要である、という理論です。

この法則でよく例に挙げられるのはWEBサイトやアプリのエラーというネガティブな体験に出会った際の例です。
非常に細かいですが重要な話で、例えば画面でエラーが起きた時に(ネガティブな体験)、無機質に感情なく「ERROR」とだけ英語で表示されていて、次にどうアクションすれば良いかのアテンションもない状態だと、誰しもそこまで大きくはなくても小さいショックは受けていると思います。
一方で、同じエラー画面でも「申し訳ございません。以下のボタンより〇〇してください」などと感情が入った状態や少し明るいイメージで、丁寧に次のアクションが案内されているとどうでしょうか。

普段の生活を想像していただくと良い体験よりもイヤな体験は強いというのは感覚的にもお分かりかと思いますし、医学的にもイヤな記憶の方が良い記憶よりも覚えている確率が高いそうです。
そう考えると、ネガティブな体験とポジティブな体験が同じ質量ではネガティブな体験が勝ってしまうので、正確な質量はシチュエーションや個人差があるだろうと思いますが、ネガティブ質量:1に対してポジティブ質量:3くらいは必要だろうと納得できます。

そしてさらに、3:1の法則をGoogle社ではAndroid開発などのチームで活用しているそうですが、この理論は端末のUI / UXなどなどにとどまらず、会社や組織、リアルイベントなどのもう少し広く違った領域でも活用できる法則ではないでしょうか。
例えば体験型レジャーやアトラクションでもある程度の時間並んででも、それ以上のポジティブな体験が各レジャー・アトラクションおよび園全体にはあるからこそ、ファンを離さないのだと思います。

3:1の法則の視点で、色々考えてみる

カフェレストランの例に話を戻します。

3:1の法則で簡単に分析すると、やはりよく考えられた仕組みだと感じます。
このカフェレストランには多くのステークホルダーが存在しますが、来客者に焦点を当てるとしたらどうでしょう。
といっても個人的な感想になりますが、個人的にはオーダーを取って下さったスタッフの方は少し緊張されているように感じたので「新人の方なのかな」という印象は持ちましたが、それ以外は何も違和感は持ちませんでした。ただ、大きなお世話なのですが、もしかすると接客サービスに厳しい考えや感性をお持ちの方だと何か言うのだろうかと少し心配になりました。
ただ、万が一そういったネガティブな体験が発生したとしても、建物や料理自体がクオリティが高いと感じましたので、些細なネガティブな体験が発生しても軽くポジティブな体験(質や量)が超えてくるだろうと想像しました。
あくまでも勝手な推測でしかありませんが、別の視点で考えても現場マネージャーの方や、経営されている福祉法人、初来訪のお客さんやリピーター、販売している地域商品の企業や地元の食材提供者、現場スタッフの方々やそのご家族や町にお住まいの方々など皆さんに、別の記事で書かせていただいたような「共創に必要な利益」がもたらせる場所なんだろうと感じさせる体験でした。

※そもそもですが、もし何かあっても現場マネージャーの方がすぐフォローできるように見えましたし、それ以前にスタッフの方々も丁寧で一所懸命で気持ちの良い接客でした。

「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」

Vol.1、Vol.2で書かせていただいたことを踏まえ、少しまとめさせていただくと、まず進化を続ける一方で様々な課題を抱える現代では、共創がある社会が必要。
その上で、一時的なものではなく継続して競争を続けていかなければならないのだが、ではどうすればよいか。
そのためには、ビジョンを持ちそれを具体的にどう実現していくかの、ありたい未来を描くことが必要。
さらにその未来を描くためには、経済的価値と社会的価値を踏まえたビジョン設計が重要で、実現していくためには関わる人たちの利益をポジティブ・ネガティブ双方の体験を熟慮しながら設計実現していかなければならない、という考えを書かせていただきました。

著名な写真家 森山大道さんの言葉で「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」という素敵でなんとも奥深い言葉があります。
これは勝手な解釈ではありあくまでも個人的な見解ですが、ブランドや社会的意義の視点から考えてみた時、もしかすると過去の素晴らしい事象と出会うことは新しい発見や気づきがあって、それをそのままではなく現在のあった形で再解釈やアップデートを行うことで、豊かな未来が切り拓けるのではないか、と思いました。

日本にはかつて縄文という時代がありました。
それは紀元前後の約1200年ほど続いたと言われる弥生時代より前の時代で、約1万5000年も続いたと言われるほとんど争いがなかった平和と安寧が存在する、ある意味豊かな時代です。
もちろんテクノロジーや知識といった進化は右肩上がりに加速していくものなので、進化や変化が早くひとつの時代と定義されるスパンが短くなるものなので、長ければ良いという訳ではないとは思います。
ですが、その時代は集落ごとに社会が成立していてその中で協力して助け合いながら生活していたそうです。さらに、集落ごとに孤立していたかというとそうではなく、例えば現在の新潟エリアでしか採取できない翡翠が北海道や沖縄でも出土されているそうで、交易も盛んにあったことが専門家の研究で明らかにされているそうです。

また、北海道にある縄文時代の貝塚で約4000年前の人の骨が見つかったそうですが、その人は20歳代で頭は平均的なサイズですが、手足の骨が極端に細かったそうで、つまり病気か障がいを持ってらっしゃったということ。
これが何を意味するかというと、当時の平均寿命が約30歳くらいという説もありますが、介護する知識やテクノロジーがほぼない時代に20代まで生きていたということは、周りの協力も得ながら大事に育てられたということです。

縄文時代にどこまで豊かな未来が想像できたかはわかりませんし、今を生きることで精一杯だったのかも知れないと素人なりに想像します。
ですが、その時代にあった自分や家族、集落などに対する良き体験を考え生活を作っていたのではないかと思いますし、遥か昔の話を現代に当てはめるのは無理があると思いますが、過去に学びながら現代を生きる私たちに合ったように上手くカスタマイズすることも、共創ある社会の土台をつくるための一つの方法ではないかと考えています。

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